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"The book kindled my interest."

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【頑張るな、働け】『仕事をしたつもり』 海老原嗣生

 

仕事をしたつもり (星海社新書)

仕事をしたつもり (星海社新書)

 

 【概要】

昔なら手書きの汚いメモをベースに会議が行われていた。

ところがパソコンの発達により、身内の会議にまで「きれいな」企画書が必要になった。

しかもご丁寧に、きれいな装丁でホッチキスの場所まで決まってる。

加えて会議は資料を配るだけでなく、プロジェクターを使ってスクリーンに映し出すために設置や配線に時間をとられる。そして映し出されるファイルには、文字だけであきたらず無用な動画やアニメーション化されたグラフまでちりばめられている。

そうしてやっと開かれた会議も「結論は時間に持ち越し」が無事決められた唯一つの成果だったりする。

結局技術の進歩は、やらなくてもいい仕事を多重に増やしてしまっただけなのではないか。

これぞ「仕事したつもり」状態。

そんな状態からどうやって抜け出すのか?の仕事術本。

【アマゾンの紹介】

12時間働いて仕事をしたのはたったの2時間!?いつも忙しいのに成果が出ない。なぜだ。時間と労力の無駄は、もう終わりにしませんか。 

 【目次】

第1章 何十枚も資料を作って、それで仕事したつもり?

第2章 流行のビジネスモデルを学んで、それで仕事したつもり?

第3章 みんなで一緒に考えて、それで仕事したつもり?

第4章 業界トップの真似をして、それで仕事したつもり?

第5章 「お客様は神様です」とへりくだって、それで仕事したつもり?

第6章 新しいことにチャレンジしないで、それで仕事したつもり?

終章  「仕事したつもり」からの抜け出し方

 【ポイント】

◆1 「量の神話」の正体

①本当に大切なことは、少量行うのも難しい

②逆に、質の低いことをたくさん行うのは、いたって簡単

問題はこの次です。

③そして周囲から見ると、「少量の良質」よりも「多数の低質」のほうが、えてして評価が高い

なぜなら、質は見えづらいのに対して、量は一目瞭然。評価がしやすいのです。

 

 

◆2 「屋台の味」を謳う看板に意味はあるか?

「うまいラーメン 屋台の味」

それほど大きなものではないのですが、ポールを立て、電飾を施したカラフルな看板には、そう書かれてあったのです。

「ああ、見事な『仕事したつもり』だ…」

私はそう思って路肩に車を停め、しばらく物思いにふけってしまいました。

専門家ではないので詳しい金額はわかりませんが、電飾も施してあるので、おそらくその看板を作るのに10万円以上はかかっているはずです。それほど経営も楽ではないだろうに、なぜこんな無意味なものを作るのでしょうか。

考えてもみてください。わざわざ「屋台の味」と書く意味はなんなのか、と。

◆3 横並び意識は、常に「強き」から「弱き」へと流れる

さて、「横並び意識型の 仕事をしたつもり」の無限連鎖には、ひとつの法則があります。それは、「強きから弱きへ」「高きから低きへ」「進んだ場所から送れば場所へ」と流れていくことです。(中略)

「強き・高き」は神聖視されるため、「なぜそれが正しいのか」という思考を停止させがちだからなのでしょう。(中略)

「強き者の行動を弱き者がまねる」のは思考停止状態でも行われますが、その逆の「弱き者の行動を強き者がまねる」には、必ず「なぜそれが正しいのか」という検証プロセスが必要となるからです。

 ◆4 過剰なサービスは仕事ではない

お金を払ったから、客だからといって偉いわけじゃないし、怒鳴る権利があるわけでもない。

商品やサービスを提供する側も、カスタマーハラスメントに屈し、媚びたり過剰サービスを行ったりすることで「仕事をしたつもり」になってはいけない。

ただ三波春夫さんの「お客様は神様です」というフレーズが誤解されたままひとり歩きをして、「クレーマー」の格好の言い分となってしまっているいまの日本では、このタイプの「仕事をしたつもり」はなかなかなくならないのかもしれません。 

 ◆5 「安全策」も「奇策」も仕事したつもり

安全策…「論理的に正しい」もので、「一般的に納得がいく」ような仕事の仕方

奇策…「論理的にまったく正しいとは思えない」もので、「多くの人が素直には納得できない」ようなしごとの仕方

 では、この2つのどこが同じなのか?

応えは簡単です。いずれも、「本気で考える」ことをおざなりにしているところが、共通しているのです。

 ◆6 仕事したつもり定着のプロセス

プロセス1 

はじめから頭ごなしに「そんなの無駄」とはいえないような、何かしらの説得力を持っている。

プロセス2 

「過去の成功事例」や「マーケティング数字」を並べられると、右へ倣えの人が増えていき、その数の増加とともに、反対意見を述べる人が加速度的に減っていく。

プロセス3

仕事したつもりの蔓延過程で、何かしらの権威付けが起きると、さらにその広まり方は速く、大きくなっていく。

プロセス4

こうして完成した「仕事したつもり」は、実行する本人にとってとてつもなく甘い蜜になるため、もはや誰も「無駄」だとは指摘できなくなり、定着する。

(中略)

つまり、何も考えずみんなとおなじように「仕事をしたつもり」でいれば、楽だし、失敗してもとがめられることはないし、仕事として認められるし、お金もたくさん貰えるし、頑張っているように思わせることもできるというわけです。  

 【感想】

労働生産性の低さを日本人はよく指摘されます。それも長時間労働の挙句に。

それもそのはず、それは仕事をしてるのではないのだもの。ただただ時間の埋め合わせをしてるだけ。職場にもいますね、自覚ありにしろ無自覚にしろ、そういう役者の方々が。

じゃあその陥穽に避けるにはどうするべきか。それは「真剣に考えること」。

「なんだそんなことか」って声がまだ読んでない方から聞こえてきそうなものですが、終章まで一冊読み進んできた読者は、スッと受け入れれる態勢になっています。

著者の取り上げる例がことごとく図星なもので、いままでいかに「真剣に考えること」をしていなかったか、思考停止になっていたかが身にしみていますから。

それに読み終わった読者は新しい視点を持つにいたるでしょう。

ちょっと身の回りに目を転じて見れば、「仕事をしたつもり」のものが目立つこと目立つこと。

えてして易きに流れやすい私は折をみて読み返さなくてはいけない一冊になりそうです。