KLZD

"The book kindled my interest."

MENU

【必読】「何によって知られたいか?50歳で答えられないなら人生を無駄にしたことになるよ」P・F・ドラッカー『プロフェッショナルの条件』を読んだ

【はじめに】

ドラッカーの最初に読むべき本として挙がるこの著作 。

それが目的に編纂されているため『エッセンシャル』で妥協した人にも読みやすい。

そればかりでなく、一般に古典と言われる著作がいつの時代に誰に対しても有益な方向性を示すに似て、この「個人の働きかた」に焦点を当てたこの著作は、誰が読んでも得るところが少なくないと保証できる。 

そのため、今日は観点別に引用して、概要を伝えることができればと思います。

 

プロフェッショナルの条件 はじめて読むドラッカー (自己実現編)[Kindle版]

プロフェッショナルの条件 はじめて読むドラッカー (自己実現編)[Kindle版]

  • 作者:P F ドラッカー
  • 出版社:ダイヤモンド社
  • 発売日: 2012-09-14

 

【マネジメントとは】 

企業、政府機関、NPO(非営利組織)のいずれであれ、マネジメントの定義は一つしかありえない。それは、人をして何かを生みださせることである。今後、組織の競争力はこの一点にかかっている。もはや経済学のいう生産資源、すなわち土地、労働、資本からの競争優位は得られない。たしかに、これらの資源を使いこなせなければ不利を招く。だが今日では、あらゆる企業が、同一の価格でいかなる原材料も手に入れられる。資金は世界中から調達できる。

 

つまるところ、成果を生み出すために、既存の知識をいかに有効に適用するかを知るための知識がマネジメントである。しかも今日、知識は、「いかなる新しい知識が必要か」「その知識は可能か」「その知識を効果的にするためには何が必要か」を明らかにするうえでさえ、意識的かつ体系的に適用されるようになっている。知識はイノベーションにも不可欠である。  知識に関わるこの変化の第三段階は、マネジメント革命と名づけられる


 

マネジメントは、大むかしからいたるところに存在してきた。私はよく、もっとも優れたもっとも偉大な経営者は誰か、と聞かれる。それに対して、四〇〇〇年前に初めてピラミッドを構想し、設計し、建設した人であると答えている。

 

【組織とは】

企業以外の組織であれ、組織の目的は、専門知識を共同の課題に向けて結合することにある。

 

組織の使命は一つでなければならない。さもなければ混乱する。それぞれの専門家が、自分の専門能力を中心に動くようになる。自分たちの専門能力を共通の目的に向けなくなる。逆に、自分たちの価値観を組織に押しつけようとする。焦点のはっきりした明確な共通の使命だけが、組織を一体化し、成果をあげさせる。明確な使命がなければ、ただちに組織は組織としての価値と信頼を失う。その結果、成果をあげるうえで必要な人材も手に入らなくなる。  しかし、組織への参加は自由でなければならない。事実、組織がますます知識労働者の組織となっていくにつれ、組織を離れ、他の組織へ移ることは容易になっていく。したがって組織は、そのもっとも基本的な資源、すなわち能力ある知識労働者を求めてたがいに激しく競争するようになる。  

 

したがってわれわれは、一つの重要な分野で強みをもつ人が、その強みをもとに仕事を行えるよう、組織をつくることを学ばなければならない。仕事ぶりの向上は、人間の能力の飛躍的な増大ではなく、仕事の方法の改善によって図らなければならない。

 

 【今日の労働者 知識労働者とは】

 歴史上、働く者とは、何を行うか、いかに行うか、いかなる速さで行うかを指示される存在だった。これに対し、知識労働者は事実上、監督されえない存在である。その専門について自分よりも詳しく知る者が存在するようでは、価値のない存在である。

 

知識労働者は、それ自体独立して役に立つものを生み出さない。排水溝、靴、機械の部品などの物的な生産物は生み出さない。知識労働者が生み出すのは、知識、アイデア、情報である。それら知識労働者の生産物は、それだけでは役に立たない。いかに膨大な知識があっても、それだけでは意味がない。したがって知識労働者には、肉体労働者には必要のないものが必要となる。すなわち、自らの成果を他の人間に供給するということである。

 

知識労働者が彼自身と彼の専門知識を活用して成果をあげることである。言い換えれば、自らの産出物たる断片的なものを生産的な存在にするために、それを利用する者に「何を知ってもらい」「何を理解してもらわなければならないか」を徹底的に考えることである。 

 

 【リーダーシップとは】

一流の指揮者を一流たらしめるものは、最後列のもっとも役割の小さな楽器をして、オーケストラ全体のできを素晴らしいものにするよう演奏させる能力にある。言いかえれば、情報型組織がもっとも必要とするものは、現場からトップにいたるまで、自己管理と責任のうえに立つリーダーシップである。

 

効果的なリーダーシップの基礎とは、組織の使命を考え抜き、それを目に見える形で明確に定義し、確立することである。リーダーとは、目標を定め、優先順位を決め、基準を定め、それを維持する者である。もちろん、妥協することもある。

 

仕事において貢献する者は、部下たちが貢献すべきことを要求する。「組織、及び上司である私は、あなたに対しどのような貢献の責任をもつべきか」「あなたに期待すべきことは何か」「あなたの知識や能力をもっともよく活用できる道は何か」を聞く。こうして初めて、コミュニケーションが可能となり、容易に行われるようになる。  その結果、まず部下が、「自分はどのような貢献を期待されるべきか」を考えるようになる。そこで初めて、上司の側に、部下の考える貢献について、その有効性を判断する権限と責任が生じる。私の経験によれば、部下が設定する目標は、ほとんど常に、上司が考えているものとは違う。部下は現実を、上司とはまったく違うように見ている。有能であるほど、また進んで責任をもとうとするほど、現実や機会やニーズについての見方が、上司のそれと違ってくる。この違いはかなり大きい。


 

【成果をあげるために】

成果をあげるためには、人の強みを生かさなければならない。弱みを気にしすぎてはならない。利用できるかぎりのあらゆる強み、すなわち同僚の強み、上司の強み、自らの強みを総動員しなければならない。強みこそが機会である。強みを生かすことは組織に特有の機能である。  組織といえども、人それぞれがもっている弱みを克服することはできない。しかし組織は、人の弱みを意味のないものにすることができる。組織の役割は、人間一人ひとりの強みを、共同の事業のための建築用ブロックとして使うところにある。

 

アメリカの鉄鋼王アンドリュー・カーネギーが自らの墓碑銘に選んだ「おのれよりも優れた者に働いてもらう方法を知る男、ここに眠る」との言葉ほど、大きな自慢はない。まさに、これこそが、成果をあげるための処方である。

 

強みに焦点を合わせることは、成果を要求することである。「何ができるか」を最初に問わなければ、真に貢献できるものよりも、はるかに低い水準に甘んじざるをえない。成果をあげることを初めから免除することになる。致命的ではなくとも、破壊的である。当然、現実的でもない。  真に厳しい上司とは、つまるところ、それぞれの道で一流の人間をつくる人である。彼らは、部下がよくできるはずのことから考え、次に、その部下が本当にそれを行うことを要求する。

 

私は、成果をあげる人間のタイプなどというものは存在しないことをかなり前に気づいた。私が知っている成果をあげる人たちは、その気性や能力、仕事や仕事の方法、性格や知識や関心において千差万別だった。共通点は、なすべきことをなし遂げる能力をもっていたことだけだった。

 

成果をあげる人に共通しているのは、自らの能力や存在を成果に結びつけるうえで必要とされる習慣的な力である。企業や政府機関で働いていようと、病院の理事長や大学の学長であろうと、まったく同じである。私の知るかぎり、知能や勤勉さ、想像力や知識がいかに優れようと、そのような習慣的な力に欠ける人は成果をあげることができなかった。  言いかえるならば、成果をあげることは一つの習慣である。習慣的な能力の集積である。そして習慣的な能力は、常に修得に努めることが必要である。習慣的な能力は単純である。あきれるほどに単純である。七歳の子供でも理解できる。掛け算の九九を習ったときのように、練習による修得が必要となるだけである。「六、六、三六」が、何も考えずに言える条件反射として身につかなければならない。習慣になるまで、いやになるほど反復しなければならない。

 

【成果をあげられない人は】

かえって、いかなる成果もあげられない人のほうがよく働いている。成果のあがらない人は、第一に、一つの仕事に必要な時間を過小評価する。すべてがうまくいくものと楽観する。だが誰もが知っているように、うまくいくものなど一つもない。予期しないことが、常に起こる。しかも、予期しないことは、ほとんど常に、愉快なことではない。したがって、成果をあげるためには、実際に必要な時間よりも余裕を見なければならない。  第二に、彼らは急ごうとする。そのため、さらに遅れる。成果をあげる者は、時間と競争しない。ゆっくり進む。  第三に、彼らは同時にいくつかのことをする。そのため手がけている仕事のどれ一つにも、まとまった時間を割けない。いずれか一つが問題にぶつかると、すべてがストップする。

 

【ドラッカー自身の自己啓発の7つの経験】

最後にドラッカー自身が「私の人生を変えた7つの経験」を挙げている。

そのうちから2つを。

【①失敗し続けるに違いなくとも完全を求める】

ハンブルク大学在籍時、たっぷりあった夜の時間に、当時ヨーロッパで最高水準にあったハンブルクのオペラに週一回聴きに行っていた彼は、ある夜、19世紀の作曲家ヴェルディのオペラ『ファルスタッフ』を聴きます。

私は調べた。信じがたい力強さで人生のよろこびを歌いあげるあのオペラは、八〇歳の人の手によるものだった。一八歳の私には、八〇歳という年齢は想像もできなかった。八〇歳の人など、ひとりも知らなかった。平均寿命が五〇歳そこそこだった七〇年前、八〇歳は珍しかった。そして私は、すでにワーグナーと肩を並べる身でありながら、しかも八〇歳という年齢で、なぜ並はずれてむずかしいオペラをもう一曲書くという大変な仕事に取り組んだのかとの問いに答えた彼の言葉を知った。「いつも失敗してきた。だから、もう一度挑戦する必要があった」。私はこの言葉を忘れたことがない。それは心に消すことのできない刻印となった。

 

だが私は、そのときそこで、一生の仕事が何になろうとも、ヴェルディのその言葉を道しるべにしようと決心した。そのとき、いつまでも諦めずに、目標とビジョンをもって自分の道を歩き続けよう、失敗し続けるに違いなくとも完全を求めていこうと決心した

 

 【②何によって知られたいか】

1950年の年明けに、父親と二人、父の昔からの友人であるあの著名な経済学者シュンペーターを訪れます。

突然、父はにこにこしながら、「ジョセフ、自分が何によって知られたいか、今でも考えることはあるかね」と聞いた。シュンペーターは大きな声で笑った。私も笑った。というのは、シュンペーターは、あの二冊の経済学の傑作を書いた三〇歳ごろ、「ヨーロッパ一の美人を愛人にし、ヨーロッパ一の馬術家として、そしておそらくは、世界一の経済学者として知られたい」と言ったことで有名だったからである。  彼は答えた。「その質問は今でも、私には大切だ。でも、むかしとは考えが変わった。今は一人でも多く優秀な学生を一流の経済学者に育てた教師として知られたいと思っている」。おそらく彼は、そのとき父の顔に浮かんだ怪訝な表情を見たに違いない。というのは、「アドルフ、私も本や理論で名を残すだけでは満足できない歳になった。人を変えることができなかったら、何にも変えたことにはならないから」と続けたからである。

 

私はこの会話から三つのことを学んだ。一つは、人は、何によって人に知られたいかを自問しなければならないということである。二つめは、その問いに対する答えは、歳をとるにつれて変わっていかなければならないということである。成長に伴って、変わっていかなければならないのである。三つめは、本当に知られるに値することは、人を素晴らしい人に変えることであるということである。

 

 この「何よって知られたいか」の言葉、実はドラッカーは13歳の時点で一度出会ったことのある言葉でした。

私が一三歳のとき、宗教のすばらしい先生がいた。教室の中を歩きながら、「何によって憶えられたいかね」と聞いた。誰も答えられなかった。先生は笑いながらこういった。「今答えられるとは思わない。でも、五〇歳になっても答えられなければ、人生を無駄にしたことになるよ」